内藤優花音のピアニスト日記

ピアノ 作曲 絵 気づき を 書き綴っています

人との交流に臆病になっている自分に気づく

近年

気持ちよく交流のできる方々との出会いが増えて来てます

本当に知らず知らずのうちに…なんです

 

※ここで述べている交流は恋愛関係を除く一般的な人間関係です

 

 

一方で

逆説的ではありますが

人との交流に臆病になっている自分に

気づくこともあります

 

 

たとえば

「繋がっておきたいな」と思っても

なんとな〜く名刺をお渡ししなかったり

 

逆にすんなりとつながるご縁があって

フェイスブックなどで繋がって

数回食事などしても

その後あまり接点が得られず

数年後に友達削除という結果になったり

(これはどちらからということもないのですが)

 

 

たぶん

人間関係について

いろいろ考え過ぎてしまう

私の方に原因があるのかもな…なんて

ふと思ったのね

 

 

もっと気楽に

もう少しアバウトに

交流しても良いのかもなとも思ったりする

 

 

とはいえ

深く知り合うほど

「根本的な違い」に気づいてしまうこともある

 

 

もちろん同じ人間はこの世に2人といないから

みんな違いがあるのはわかっているよ

 

だからこそ

気づかせてもらえることもあるし

視野が広がったりするよね

 

 

ただ

その違いが

「根本的な違い」

だったとしたらどうでしょう?

 

 

 

 ここまで書いて

「根本的な違い」ってどんなことか

改めて考えてみました

 

 

 

たとえば

◯もっとも大切にしていることの違い

◯人との関わり方の違い

とか

そういったことかな

 

 

 

たとえば

こんなこと

 

 

数名のグループで

何か仕事をしようとしていたとします

その過程で

1人を除いた人々で意見を擦り合わせて

残りの1人にまとめて意見を突きつけるようなことがありました

その1人は私なのね

 

 

私はこんなことはあまり好きじゃない
はっきり言って大嫌い

 

 

このようなことをされると

「裏切られた」と感じる

 

 

意見を擦り合わせた方々は

「より良い仕事をするためにそうした」

という考えだったらしいのだけど

 

 

これは私にとって

「根本的な違い」

だと感じたんだよね

 

 

 

これは極端な例かもしれない

こんなことは滅多にないと思う

 

 

 

 

 

 

 

視点をちょっと変えてみよう

 

 

 

 

 

 

「根本的な違い」に気づいたとしても

違いを楽しめれば

交流してもOKなのかもしれない

 

 

 

そもそも

「根本的な違い」に気づくほど

深く交流したのだから

フィーリングの合うところは

たくさんあるわけね

 

 

 

でもね

過去にこんなこともあったな

 

 

「根本的な違い」に気づいたのだけれども

フィーリングの合うところも多々あったから

交流を続けたことがあったの

 

 

しかし

お会いするたびに

「根本的な違い」が

心に引っかかって

クローズアップして

いまいち交流がうまくいかなくなった

今思えば

私の方が素直に接することができなくなっていったような気がします

 

 

…これは私が反省すべきですね

本当に申し訳なかったと思います

このような場合は

「根本的な違い」がほとんど気にならなくなるまで

しばらく交流をお休みするとか…

そんな風にすれば良かったと反省しています

 

 

たぶん私は性格的に

さらりと水に流せないところが

あるんだと思います

 

 

 

これはこれで私の個性だし…このままでいいんじゃね?

という気持ちもありますが笑笑

もうちょっとサラリと流した方がスマートかなと思う自分もいます

 

 

どちらが正解ってわけでもないと思いますが

 

 

…な〜んて

とりとめのないことを

書いてしまいました笑笑

 

 

近々節目を迎えるので

心に溜めていたことを

冷静に書き出してみました

 

 

おかげさまで

すっきりとした気分です

 

 

お読みくださりありがとうございました