こんにちは!
ピアニストの内藤優花音です。
今日の国分寺市は雨模様。
蒸し暑いです。
先週から軽い喘息でしたが、近所の内科で処方してもらった薬が効いて、ほぼ治りました。
はてさて、先日の記事でちょっと書きましたが、近年、喘息が再発したのね。
とても軽い症状で、年に一回くらいなんだけど。
これってなんでかな~?ってとっても不思議だったのよ。
というのも、今はピアノに集中しているし、家族との時間も有意義に過ごしている。
家事も丁寧にやって・・・そりゃたまには手抜きするけど笑、気分良く過ごせている。
料理とかも満足している。家族も美味しいといってくれている。
毎日、とても楽しいし、気分がいい。
なのに、なぜ喘息さんが再発したのか???
これってミラクルだったのね。
今日は、その原因をスピリチュアル的に探ってみたよ。
- 子どものころ喘息だった~2歳から18歳まで~
- 喘息が再発した時期 ~2014年8月~
- ピアノに専念するストレス
- 「ピアノに専念する」という選択はグッドジョブ!
- 原因は数字にとらわれた「成功しなければ!」という思い
- おわりに
子どものころ喘息だった~2歳から18歳まで~
子どものころ、喘息でした。
母(故人)の方針で、発作が起こったときのみ病院で薬をもらってくるようにしてた。
幼稚園の頃は頻繁に発作が起きていたような気がする。
私が発作をおこしていたのは、こんなときだ。
ちょっと嫌なことがあったり、楽しみにしていても緊張することがあると発作になってたような気がする。
幼稚園の時の「お泊り保育」も発作で行けなかった。
あんなに楽しみにしていたのに。
体操クラブの東京ドームでの発表会にも参加できなかった。
あんなに練習したのに。
でも、なぜかピアノの発表会だけは、発作になった記憶がない。
いや、小学一年生のとき一回だけ発作になったけど、あのときは、ヴァイオリンの発表と同じ日で、そっちがストレスだったらしい笑。
国立音楽大学のピアノ教室でピアノの他ヴァイオリンも習っていたの。
ピアノは先生の方針で短い曲で毎年出演していた。
ヴァイオリンは何年かに一回で、小学一年生のとき初めての発表会だったのに喘息。。。
同じ日にピアノの発表もあって、ピアノは出演したんだけど、ヴァイオリンは息が苦しいからやむなく欠席した。
幼い私と喘息は切っても切れない関係だった。
成長するにつれて身体が丈夫になっていき、発作の数も減っていった。
中学時代は、年に数回程度の発作になり、高校時代はほとんどならなかった。
しかし、高校3年の冬、最後の発作になった。
大学受験に受かった直後だ。
第一志望にしていた国立大学に受かったのだ。
とても重い発作だった。
私にとっては受験が、すごくストレスだったのだと思う。
そのストレスから開放され、その反動で重い発作が最後に出たのだと思う。
それきり、喘息は鳴りを潜めてしまった。
やれやれ・・・と思いながら、喘息の発作の苦しさを忘れ、大学時代を過ごし、会社員となった。
2003年より、会社員をしながら音楽活動を本格化させたが、喘息はなりを潜めたままだった。
喘息が再発した時期 ~2014年8月~
おくすり手帳を見たら、2014年8月に喘息の薬を処方してもらっている。
2014年といえば、開業した年だ。
2013年7月に16年勤めた会社を退職し、2014年2月に開業届を出し、ピアノに専念することを世間に表明した。
その年から年に一回くらい喘息になっている。
時期は8月または9月だ。
ならない年もあったけど、病院に行かなかっただけかもしれない。
症状はごく軽く、少しばかりだるく、息苦しく、咳が出る。。。といった具合で、日常生活は送れる。
でも、発作がおさまるまで時間がかかるので、「喘息かな?」と思ったときは病院に行くようにしている。
処方薬はとてもよく効くからね。
それにしても、開業してから再発するってのは、、、、一体どういうことなのだろう??
ピアノに専念するストレス
それにしても、開業してから再発するってのは、、、、一体どういうことなのだろう??
内観してみて、、、ようやくわかった。
それはズバリ!!
「ピアノに専念するストレス」が原因だ!
それまでの私は、二元論で生きてきた。
世俗の自分(会社員の自分)とピアニストの自分の両方を使い分けながらうまいことやってきた。
このときは、「フルタイムで会社員しながら演奏会を開くなんてすごい」と言ってもらえるのだ。
ピアノで万一失敗しても、逃げ道があるのだ。
そうだ、私は会社員なんだから!
でも、今はそうではない。
自分でそう望んだ。
自分でピアノに専念することを選んだ。
自力でクリエイトすることを選んだ。
自力でクリエイトできることを証明したかった。
誰のためでもない。自分のためだ。
当時の会社にいつづけたらピアニストとして開業届を出すことはできない。
副業が禁止されていたからだ。
そうすると、職業=ピアニストと名乗れないのだ!
どうしても、私はピアニストです、と名乗りたかったのだ笑。
「ピアノに専念する」という選択はグッドジョブ!
「ピアノに専念する」という選択は正しかったと思う。
フリーになって色々なことを経験し、ものの見方・考え方が大きく変わった。
枠組みが外れた。
初めてみえてきた世の中の仕組みがある。
会社員を続けていたら絶対に出会えないようなタイプの人たちとも会えた。
身の守り方も身についた。
そしてなにより、自由な時間を得た!
音楽・ピアノに向かい合うには、ある程度自由な時間が必要だ。
いろいろな芸術や自然など、美しいものに触れるインプットの時間。
作曲や演奏を具現化するアウトプットの時間。
こんなに自由な時間を得たのは子どもの頃以来だ!
おかげで、開業してからの演奏は、格段に磨かれたと思う。
ピアノで美しい音色を届けるのは私の魂の目的だ。
ピアノに専念するのは正しい選択なのだ。
では、喘息を再発させた原因をもうちょっと探ってみよう。
原因は数字にとらわれた「成功しなければ!」という思い
さらに内観を勧めた。
喘息を再発させた根底にあるもの。
それは。。。
「成功しなければ!」
という私自身の思いだ。
「成功」の定義って色々あると思う。
一般的には売上とかファンの数などの「数字」で測るだろう。
私は、「数字」を目標にするのが苦手だ。
苦手なので、「数字」には意識を向けないように努めてきた。
ところが、SNSなどで他人の情報も目にしてしまう。
「この人はこんなに”いいね”をもらっているな」
特に同業者の情報は有益なものもあるけど、ときには凹むものもある笑。
「この人は一年に何回もリサイタルを開いているな」
「それに引き換え、私は年に1回程度だ。。。」
フリーになってからはSNSでの情報発信も熱心にやっているので、人様の情報も目に入ってくることがあるのだ。
・・・ここまで書いてきて、思った。
結局、私が一番数字を気にしているんだ!!!ってことに笑。
私自身が、数字を気にしていた。
「私はダメだ」
その思いが、自分を追い詰めていた。
私の魂は悲鳴をあげ、「喘息」という形で私に教えてくれたのだ。
せっかく、魂の目的に集中しているのに、なんで自分を認めないの??
どうして自分を褒めないの?もっと褒めてよ!!
「自分自身を褒める」・・・これで解決だ笑。
おわりに
長い記事いお付き合いくださりありがとうございました。
書きながら新たな気付きが得られ、すごく長くなってしまった笑。
今はただただ、自分自身を褒めようと思う笑。
ここまで気づいた今、喘息はこれからどうなるだろう?
もしかしたら、もう出ないかもしれない。
とにもかくにも、喘息とうまく付き合っていこうと思う。
おかげさまで、私のリサイタルは次回で18回目を迎える。(来年2月の予定)
まずは次回も開催できることに・・・乾杯!
2020年2月15日(土)19時から
JR東日本 国分寺駅直結 リオンホール
「死と再生 〜自分の枠組みをぶっ壊せ!〜(仮)」
詳細決まり次第お知らせします!
いよいよ18回目٩( 'ω' )و
内藤優花音@ピアニスト (@yukane_naito) | Twitter
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