自然体のピアニスト内藤優花音のブログ

ピアノと作曲してます。日記的なものとかピアノ動画とか、いろいろ載せてる雑記ブログです。

【作文(高1)】私と風景(下書き)

先日思い出の品を片付けている時に古い作文とか発掘したのね

 

その中で「ピン」ときたものは

 

一度見直してから

 

手放すことにした

 

 

その一環として

 

ブログに書いてみることにした

 

「あの時はこうだったのか」と過去の自分に向き合うことが

 

どんなことにつながるかはわからないけど

 

「ピンときた」ってことは何らかの意味があるんじゃないかと思うんだ

 

演奏会前だから

 

サクッとやってしまう

 

 

今日はね

 

高校一年の時の現代文の授業で書いた作文ね

 

f:id:yukane_naito:20230418112322j:image

f:id:yukane_naito:20230418112201j:image

 

 

 

 

【作文】視界に視界に入る風景に濃淡が見られぬ瞬間(とき)

 

1年E組 ◯◯◯◯(私の旧姓+本名)

 中学の頃、とある山に登った。その日は蒸し暑くて汗がダラダラだった。やっとたどりついた頂上でついた“ひといき“は、“苦しみを乗り越えた後の満足感“で一杯だった。私は、頂上からの風景をseeしていた。雲が心もち低く感じる。そのうち私は、seeからlookに変わっていたらしい。私は、その風景に吸い込まれてしまった。

 向こう側に、頭を雲に隠した山々が連なっている。山は、青味がかった深い緑色だった。その緑と背後の空の色が妙にマッチしている。界下(※私の造語?)には、小さな町がこまごまとある。こちらはカラフルな色であふれていた。落ち着いた色合いに見えるはずはないのだけど、落ち着いた色合いに見えた。

 私のみた風景の中には恐らく全ての系統の色が含まれているであろう。しかし、その風景に“アクセント“は感じられなかった。私は、その風景全体に見入っていたのであって、どこに視点がいくこともなかった。意識が吸い取られたかのようだった。

 私がそのような状態でいたのは、恐らく1分間程度であったろう。しかし、私に取ってその時間は、まさしく“瞬間“であった。

 何が私を感動させたのだろう。多分答えることはできないだろう。とにかく私は、あんなに落ち着いた風景をこれまでに見たことがない。あんなに人工のものと自然のものとが溶け合った風景をみたことがない。

 人間と自然とは、互いに“自然“に溶け合うべきなのだろう。溶け合って見えた時の風景・・・それは私の心を清めてしまった。心のしこりを溶かしてしまった。生きている実感を改めて感じさせてくれた。人間と自然とは、無理なく融合するのが本来の姿なのだろう。

 一九九〇年五月二〇日

 

おわりに

多分言いたかったのは

「ホリスティック(総括的)にみて人工物と自然物がいい感じにマッチして感動した❗️

 自然と人間がいい感じに融合しながら発展していくことはきっとできるよ❗️」

てことだと思うんだわ

 

楽観的なところとか

今と全く変わっとらんわ笑

 

私のなかのテーマって

この頃から自然と人とのいい感じの付き合い

みたいね

 

ほほーーって感じ

 

だからなんだよって感じだけど

とりあえず最後まで読んでくれてありがとう❗️