過去の自分の棚卸し記事
先日思い出の品を片付けている時に古い作文とか発掘したのね
その中で「ピン」ときたものは
一度見直してから
手放すことにした
その一環として
ブログに書いてみることにした
「あの時はこうだったのか」と過去の自分に向き合うことが
どんなことにつながるかはわからないけど
「ピンときた」ってことは何らかの意味があるんじゃないかと思うんだ
演奏会前だから
サクッとやってしまう
今日はね
高校一年の現代文授業にて作った「私と風景」というテーマの文集に投稿した作文に向き合ってみる
どんな内容だったか全く覚えてない
とりあえず見てみよー
【作文】忘れがたい風景
いつの頃だったか、とある山の頂上からの風景を見た。
空は水彩絵の具の“みずいろ“を水で薄く溶いたような色だったが、綿菓子みたいにフワフワしている真っ白な雪の輪郭を消してしまうほどではなかった。深緑色の山々も連なり、なぜか手を伸ばせば掴めそうな気がしてならない。その、はるか向こうにも、やはり山々があり、空の青に溶けてしまいそうだが、それよりも微妙に濃い“青色“でその形を浮かび上がらせている。その“青“は、ポスターカラーの青に白をたくさん混ぜたような色で、その山だけに視点を合わせれば、明暗も濃淡もない。私には、すぐ近くに見える、深緑色っぽい山々より向こう側は、私とは全く縁のない・・・時の流れもない・・・ように、感じられてならなかった。私にとって、そこは触れてはいけない場所に思われた。その場所は、開けてはならないパンドラの箱であった。立ち入った瞬間に数々の不幸に見舞われるような不安に駆られた。また、界下(※眼下のこと?)・・・といっても、空をみている時にも視界に入っているが・・・町が一面に広がっている。よく目を凝らしてみると、カラフルな色がある。真っ赤な屋根、青い屋根、黄色っぽい派手な看板らしきもの・・・。しかし、ほとんどの建物に共通していることは、壁が白っぽいことである。その白さによって、カラフルな色はぼかされる。また、その白色も、西ヨーロッパ・・・スペインなどで見られる・・・日に焼けた少女がにっこり笑った時見える歯の輝く様な白とは異なって、少し黄ばんだ白・・・オフホワイトっぽい色で、風景をさらに落ち着かせる。
この風景には、濃淡が感じられない。どの色も派手すぎたり濃すぎることがなく、互いにバランスをとっているかのようだ。どこに視線を寄せるでもなく、視界に入る、その風景全てを一つの画像として捉えられた。この風景は、自然と人口のものが溶け合って構築され、不自然さが感じられない。人間と自然とは、本来このような状態にあるべきなのかも知れない。私には、これは、人間に課せられた課題の象徴のように思われてならない。
おわりに
読んでて気づいたんだけど
この作文は前回の記事で紹介した作文の清書にあたるのね
前回のは下書きってわけだ
何となく思い出してきた
👇前回の記事はこちら
前回の下書きより写実的に風景を描写してるね
高校時代はいわゆる「環境問題」にとても興味を持っていて
自然と人間との融合・共存はどのようにしたら成り立つのだろうと
そういったことをすごく考えていた
だから
山から見た山や空の美しい風景と人工物である町の風景とが融合して“自然“に見えたこと
に感動したのだろうね
でも結局そういった使命感とか問題意識とかは
その後の進路を考える上で辻褄合わせをしていくうちに
忘れ去ってしまった
同じ志の友人や先輩と出会っていなかったのも原因の一つだろうな
とはいえ
今も自然と人との融合は大事だと思うし
買い物する時も
どういった手順で作られたものか?
とか
少し意識するようにしてる
でも
全てじゃない
すべてにこだわってしまったら
それはそれで苦しい
そんな感じで
今は過ごしてる
そうね
この頃は
「自然と人との融合」っていう使命感。。。
妙にあったな笑
今日も最後まで読んでくれてありがとう