おはようございます!
ピアノアーティストの内藤優花音です。
今日の国分寺は曇り空で涼しいです。
少し雨も降っていて、今は21度です。
とても過ごしやすい気候です。
今日はね、「心の拠り所」について書いてみようかと思います。
心の拠り所ってどんな場所?
辞書(コトバンク)によると、「頼みとするところ」「支えてくれるもの」などと出てきますね。たとえ、嫌なことがあっても、辛いことがあっても、拠り所があればなんとなく元気が出てくる。。。乗り越えられる。。。そんな場所って意味でしょうか。
皆さんは心の拠り所と聞いて、どんな場所を思い浮かべますか?
現在、ある場所、よく行く場所?
それとも、古い記憶にある場所?
写真はワークショップで作った万華鏡
私にとっての心の拠り所
私にとっての心の拠り所は、今現在は自宅です。
自宅にさえ帰ってくれば、心も身体もほっとします。
ま、当たり前といえば当たり前ですけどね笑。
子どもの頃の拠り所も自宅でした。
それも、同居していたおばあちゃんの居室。
とっても具体的でしょう??
おばあちゃんはとても優しい人でした。
明治42年生まれで、いろいろなお話を聞かせてくれました。
百人一首の相手もしてくれたし、小児喘息だった私の背中をずっと擦ってくれたり。
正直な話、私は母とはそれほど仲良しではありませんでした。
しかし、おばあちゃんという拠り所があったので、精神的にずいぶんと支えてもらえました。
小学校などでクラスメイトに意地悪をされたときも、「もう学校に行きたくないな」と思ったものですが、おばあちゃんの居室のイメージを思い描くと、「おばあちゃんに心配させられない」と思い直したものです。
心の拠り所があれば、人間は生きていける
いま思えば、私にとって”おばあちゃんの居室”ってのは、「私を大切に扱ってくれる場所」だったのだと思う。
無条件に私を受け入れてくれ、癒やしてくれ、優しく扱ってくれる。
そんな場所の記憶があると、人間は生きていけると思うのです。
(正確には、生きていきやすい・・・かな。)
その場所は、過去の記憶の中の場所でも、良いと思うんだ。
そういう場所の記憶が少しでもあれば、「自分は誇らしい存在なのだ」という事実を思い出しやすいからね。
ちょっとスピリチュアルな話になるけど、人間って誰しも祝福される存在だよね。
でも、世知辛い世の中に揉まれるうちに、そのことを忘れてしまうことがある。
私も長いこと忘れていた時期があるよ。
でもね、今私達が生きているってことは、赤ちゃん時代に誰かがミルクを与えてくれたり、おしめを取り替えてくれたり、何らかのお世話をしてくれたから。
それは、とってもありがたいことだし、「私達それぞれが祝福された存在だから」なんだよね。
心の拠り所と聞いても、ピンと来ない人もいるかもしれない。
でも、今現在あなたがこの世で生きているということは、誰かがあなたをお世話してくれたからだってことなんだよね。
その事実こそ、心の拠り所と考えられるのではないかしら?
そんな風に思いました。
即興曲「想い出の花畑」チラ聴かせ
ここで、昨日弾いたばかりの即興曲「想い出の花畑」よりチラ聴かせ48秒しちゃいます!
この”花畑”ってのは、”心の拠り所”の比喩と思ってね♪
【曲に寄せる詩】
懐かしい記憶にある花畑...
今はもうない
あの花畑はどこにあったんだろう?
夢?幻?いや、確かにあった
でも、今は行くことができない
記憶の奥底にある想い出の花畑
私だけかもしれないけど、花畑っていうとなんだか懐かしさを感じるの。
昔観たアニメ(キャ◯ディキャ◯ディとか、ラ◯カルとか)に花畑がたくさん出てきたからかな?
一方で、こういう感情って、誰しも持っているんじゃないかしら?
共通の記憶なんじゃないかしら?・・・なんてふと思ったんだ。
それでは、聴いてみてね! 読んでくれてありがとう!