自然体のピアニスト内藤優花音のブログ

ピアノと作曲してます。日記的なものとかピアノ動画とか、いろいろ載せてる雑記ブログです。

自分を解放する〜思考・行動のクセは乗り越えられる〜

こんにちは!

ピアノアーティストの内藤優花音です。

 めっきり暑くなりましたね。

  

先日、息子が生後9ヶ月を迎えました。

子育てを通して、新鮮な発見と同時に、「わたしが子どもの頃はこうだったなー」なんて思い出したりすることが増えたんだよね。

 

そんな中で、ふと思ったことがあるんだ。

 

それはね、

「赤ちゃんの頃に思考のクセが出来上がる」

ってこと。

 

 そして、

小学校くらいまでに行動のクセが出来上がる

ってこと。

 

ちょっと書いてみるね。

 

長いので、興味のない方はスルーしてね。

 

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思考のクセは赤ちゃんの頃に出来上がる

 

わたし自身の経験を踏まえて、そう思うんだ。

赤ちゃんの時期の環境は、かなり強い影響を後々与える。

 
例えば、この時期に愛情への渇望が刷り込まれればずっと渇望する人になる。

 

そして、これは私のケースなんだけど、この時期に他人を信頼することができないと、信頼できる人を探し、依存しやすくなる。

 

私には”信頼できる人”を探す思考のクセがあった 

 

赤ちゃんの時代からの思考のクセは、長いこと人生に影響を与え続ける。

でも、乗り越えるべきクセならば、乗り越えることができる。

 

 

私は長いこと”信頼できる人”を探す思考のクセがあった。

”信頼できる人”とは、話をしっかり聴いてくれ、元気づけてくれる人のこと。

こういった人の存在はとてもありがたいし、大切だと思う。

ただし、本人が弱い状況だと、”依存”になることがある。

 

 

私は、母(故人)と真の意味でわかりあえなかった。

私は物心ついたときからカンが鋭かったので、「母とはわかりあえない」ということを早い時期(幼稚園に上がるか上がらないかくらい)から感づいていた。

 

言葉でいくら説明しても、母にはどうにも届かない。

とてもまだるっこしかったし、悲しく、寂しかった。

母からは言葉の暴力、そして、ひっぱたかれるなどの軽い暴力も受けていた。

 

そんな私と気があったのは叔母(父(故人)の妹)だった。

当時は叔母も同居していたので、叔母が仕事から帰ってくるのが楽しみだった。

明るい性格で、私の話をよく聴いてくれた。

叔母と過ごす時間は、とても心地よかった。

 

今にして思えば、叔母は私を手なづけて、母を孤立させようとしていたのかもしれない。

それが原因で、母は私にあたったのかもしれない。

 

そんな叔母も、やがて結婚して実家をでることになった。

とても寂しかった。

 

気づいたら私は、私の話をじっくり聴いてくれる人・環境を探すようになった。

それは、学校の先生だったり、整体の先生だったりした。

 

社会人になってからも整体に通ったり、アロママッサージサロンに行ったりして、そこでのお喋りが最高のはけ口だった。

”依存”だったと思う。

 

当然ながら整体の先生とかサロンのセラピストはお友達ではない

 

わかっているつもりでも、少し虚しかった。

それに、そういった場所にいくには、時間もお金もかかる。

 かといって、肩こりがひどかったので、行くのを完全にやめるわけにもいかない。

 

「私は一生こういった場所に通わないと生きていけないのだろうか?」

 

そんな不安が頭をよぎった。

 

 しかしずっとあとのことになるが、そういった状況から抜け出すことができた。

 

 

 

 

小学校くらいまでに行動のクセが出来上がる

 

私は失敗するのが嫌だ、避けよう、という人生を長らく送ってきた。

そして、人にあまり期待しない。

私の「行動のクセ」だ。

 

思い返すと、親が失敗をものすごく恐れる人たちだった。

失敗は避けるべきことだと私に言って聞かせた。

 

さらに、それを強化するような出来事が小学校のときに起こった。

5年生のとき、児童会の選挙に落ちたのだ。

 

 

選挙に落ちたとき、両親は放っておいてくれた。

これはとてもありがたかった。

 

落選したことですごく傷ついたという記憶もないが、なんとなくその経験で、「合否がはっきり出るチャレンジはなるべく避けよう」と思った。

 

後から聞いた話だが、クラスメイトの女子の1グループは、わたしを応援するふりをしながら、私の選挙のポスターをわざと剥がしたり、私に投票しなかったときいた。

 

 

「人はそんなものなのだ」

 

そんなふうに、ただ理解した。

 

そして、6年生になったとき、また選挙があった。

 

立候補者を募る学級会が開かれた。

 

私は去年の落選の記憶もあるし、もう懲り懲りだったので出なかった。

 

しかし、ほかの男子が、「◯◯(私の旧姓)、でろよ」といった。

 

私は「出ないよ」と言った。

 

担任のK先生が言った。

 

「無理に出させちゃだめよ。自殺でもされたら困るから。」

 

学級会の司会が私に聞いた。

 

「◯◯(私の旧姓)さん、自殺するほど嫌ですか?」

 

私は本当に出たくなかったので「嫌です」と答えておいた。

 

担任の先生にも少しばかり怒りを覚えたが、「人はこんなものなのだ」と捉え、軽く流しておいた。

 

この件については、思い出したくもない出来事なので、記憶の奥底にずっと眠らせておいた。

 

しかし、その後の私の行動パターンに影響を与えた。

 

それは、「合否がつくようなチャレンジは避ける」こと。

 

そして、「人に期待しない」こと。

 

 

思考のクセ、行動のクセから抜け出す方法

 

やりかたはこんなふう。

  

「自分はこういうクセがあるかも・・・」ということを書き出す。

 

「自分はこういうクセがある」ということを素直に受け入れる。

 

「クセになったきっかけはなんだったか?」考えてみる。

 

クセのきっかけを経験した時の自分を癒すイメージを持つ。

 

時間がかかるかもしれないけど、確実な方法だと思う。

 

私も時間がかかりました。。。笑。

 

 

思いグセ、行動のクセは、悪いものではないと思う。

人生の最大の学びであることが多いよ。

 

 

おわりに

 

ずいぶんと長い記事になってしまった。

もし最後まで読んでくれたとしたら、ありがとう。

 

両親は多くの場合、私が失敗したとき、私の目の前で憔悴し、私を怒ったり、ああすれば良かった、こうすればよかったと延々と話すタイプだった。

 

そこには、後悔の念があり、今度はこうしよう、という前向きなビジョンはない。

だから、親に失敗を知られるのが嫌だった。

 

だから、あまり失敗しそうなあまりしないで生きてきた。

 

また、失敗するからやめろと言われそうなことは、親に内緒でやり続けた。

例えば、ピアノの演奏活動がそうである。

 

(父が亡くなる数年前から、演奏会に誘って来てもらうようにしたが、長いこと内緒にしていた)


両親が亡くなった後も、その思い癖は長らく残っていた。

 

しかし、実家じまいに伴う過去への向き合いをしっかりしたら、「失敗して親に怒られるのが嫌だ」と思っていた昔の自分に気づいた。

 

また、そういう反応をしてしまう親のことも理解できるようになった。

 


そんな自分や親へのそこはかとない愛情を自分の中にいだけるほどに自分は成長していたのだ。

 


もう当時の自分を癒せた。

 

そのおかげで、失敗が怖い、避けよう、という思い癖はかなり柔らいだ。

失敗する怖さ以上に、チャレンジした後に開ける可能性に意識を向ける楽しさを感じている。

 


こうして、人は成長していくんだなとしみじみと感じた。

「創作の季節」のオリジナル曲紹介〜2019年5月1日から5月17日〜

こんにちは!

ピアノアーティストの内藤優花音です。

 

GWから「創作の季節」に突入してしまった私。

↓ 「創作の季節」については前の記事を見てね! 

blog.yukane-naito.com

 

 

5月に入ってから既に10曲以上ひらめいたんだ。

 

そのうち、ピアノで即興演奏した曲を紹介するね。

 

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5月1日 即興演奏「これからも一緒に」

「実家にずっと置きっぱなしにしていたアップライトが来たんだ!
今日からアップライトとグランドと同居する♪
喜びの即興した🎹
撮影は赤子を抱っこしながらの夫🍼 
調律は後日します^_^」


即興「これからも一緒に(仮題)」

 

 

5月4日 即興演奏「高原へ行こうよ」

「今朝弾いた即興より抜粋。

「高原へ行こうよ(仮題)」。

新緑の気分で弾いたの。

赤子の声入ってます🤣ピアノは前日実家から運んできたアップライト。

調律は長いことしていないので、再来週する予定^_^ 」

 


即興演奏「高原へ行こうよ(仮題)」

 

 

5月7日 即興演奏「冷たい風」

「即興演奏「冷たい風(仮題)」より。

メロディが閃いた直後に歌ったやつ→ピアノで即興演奏って動画にしてみた。

メロディが閃く時期って周期的に来るんだけど、今はその時期。

明け方閃くから寝不足です…笑笑。  」


即興演奏「冷たい風(仮題)」より 原案の歌→ピアノで即興

 

 

5月8日 即興演奏「朝露」より

「昨日弾いた即興演奏。ハ長調だし純粋な感じがするから「朝露」ってタイトルにするつもり。

私の曲ってニ調、イ調が多いので、ハを基音にするのは珍しい^_^

別に作為的に調を決めてるわけじゃない。勝手に閃くの。」

 


即興演奏「朝露(仮題)」より

 

5月8日 即興演奏「黄昏」より

「一昨日弾いた即興演奏の三曲目。物悲しい音色が印象的な曲。黄昏時に物思いに耽る様子が思い浮かんだので「黄昏」ってタイトルにしよかと^_^」

 


即興演奏「黄昏(仮題)」より

 

 

5月11日 即興演奏「ワクワクワンダーランド」

「今朝出がけに閃いた曲。最近は作曲モードらしくて、毎日数曲インスピレーションが来ます。こういう時期は思いつくまま弾くようにしてます。なんか弾むようなワクワクがする曲だと思うので、「ワクワクワンダーランド」ってタイトルにしようかな^_^」

 


即興演奏「ワクワクワンダーランド(仮題)」より

 

5月12日 即興演奏「次元旅行」

「5月10日に降りてきた曲。

現実世界と精神世界の間を揺れ動くような気がしたので「次元旅行」ってタイトルにしよかと。

この曲はショートバージョンとロングバージョンの2種類に仕上げるつもり。

後者は音と音が心地よく共鳴する展開部ありにする。」


即興演奏「次元旅行(仮題)」より

 

5月13日 即興演奏「道」

「2019年5月8日に閃いた曲。

録音はついさっき。

繰り返しモチーフが頭の中に現れ、どうしたものか悩んだが、結局この形に落ち着いた。

一歩一歩を大切に歩んで行く様子を表していると感じたので、「道」ってタイトルにしよかと。」


オリジナル曲「道(仮題)」より

 

 

5月16日 即興演奏「白いお月様」

「即興演奏「白いお月様」より。

出だしのメロディに「しーろいーおつきーさまー」って歌詞つけるつもり。」

 


即興演奏「白いお月様」より

 

 

5月17日 即興演奏「過去世の薫り」

「たった今閃いた曲。

シンプルである意味潔い。

過去世の記憶がかすかに薫ってくるような、そんな気がする。」


即興演奏「過去世の薫り」より

 

おわりに

 

約半月の間によく閃いたもんだと自分でも思うよ。

お陰でとても疲れましたが笑笑、とても楽しい笑笑。

 

創作の季節は今も続いてます。

閃くのは明け方ではなく、起きている時に突然閃いてます。

厄介なのは外出先で閃くときだね。

外だと録音しようにも周囲の雑音が入ってしまうので、メロディが不鮮明になってしまうの笑笑。

 

また新しい曲を弾いたら紹介するね!

 

そして、次回のCDとリサイタルの構想に入りつつあります。

頭も体も休めつつ、クリエイトをしっかりしていきますよー!

 

読んでくれて(聴いてくれて)ありがとうね!

 

ではまた!!

 

 

内藤優花音式 作曲の手順

こんにちは!

ピアノアーティストの内藤優花音です。

 

GWから久しぶりの「創作の季節」に突入しちゃったんです。

 

かいつまんでいうと笑、さ・っ・き・ょ・く・・・のモードに完全に突入しちゃったんですね。

 

私の場合、自分で意図してるんじゃなくて、突然そうなっちゃうわけね。

 

GWから既に8曲くらい新曲の一部を紹介してる。

 

その前に、私の「創作」の手順について簡単に記事にするよ。

 

興味ある方、ぜひ読んでね!!

 

↓GWに河口湖で撮影した富士。パワーをもらいました!

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内藤優花音式 作曲の方法

 

夜明けに突然メロディがヒラメクの。

寝てるときに突然メロディが頭の中に流れるわけ。

せっかく寝てるときに曲が流れるんだから、だんだん覚醒しちゃうわけだよ。

 

「せっかくメロディを受け取ったんだから録音しとこう」

 

ってわけで、スマホ片手に別の部屋に移動。

 

んで、ビデオモードにして、閃いたメロディをもとに自由に歌う。

とりあえず、それで終わり。

また寝室に戻って、横になる。

 

んで、起きてから、または後日、歌ったビデオを聴いてみる。

 

そして、気が向いたらピアノで弾いてビデオに録画する。

 

あくまでも、歌ったビデオをもとに自由に即興演奏するのがポイント。

だから、歌ったときのメロディとピアノで弾いたときのメロディは微妙に異なることがある。

異なってもいいし、同じでもいいかな、と思ってる。

即興ってのは、新しい可能性の宝庫だと思うんだ。

 

 

んで、ピアノで録音したものの一部をツイッターなどで早急に晒すわけ。

 

メロディがひらめいてからSNSで一部を晒すまでのサイクルをなるべく早くやってしまうのがポイントね!

 

まだ正式な作品に仕上げてない曲だけど、SNSで晒すことで、曲に「場」ができるのを感じるんだ。

 

その後、SNSで晒した曲を、最終的に仕上げていく。

 

私が最終的に仕上がったとみなすのは、

 

リサイタルで演奏する

オリジナルCDアルバムに収録して販売する

 

ってときだね。

 

 だから、リサイタルでも演奏せず、CDアルバムにも入れない曲は、正式に仕上がったとはいえないんだけど、今後仕上げる可能性もある。

 

「すべての曲を必ず仕上げねばならない」とも思わないようにしてる。

 

次から次へと新しい曲がひらめくこともあるし、リサイタルやCD発売の準備もやりながらだと、「すべての曲を仕上げる」ってこだわりは捨てたほうが心地いいんだよね。

 

仕上がらない曲ってのも、ありだと思う。

 

 

「創作の季節」に突入したってわかるのはこんなとき!

 

明らかに「創作の季節」に入ったよねー!ってわかるのはね、メロディが明け方ひらめくってのが2日~3日続いたとき。

 

さすがに3日連続でメロディがひらめくと、「突入したな」ってわかるね。

 

明け方に目を覚まさざるを得ないので、体力的にとっても疲れます。

 

それに、ほんの一部だけどSNSで晒すってのをなるべく早くやるのがポイントなので、必然的にスマホやPCを使う頻度も高くなり、目も頭も疲れるわけね。

 

そんな状態が二週間~三週間つづく。

 

心身ともに疲労がたまって、肉体的に限界ってなると、「創作の季節」は徐々に終わっていく。

 

まとめ

超ざっくりと作曲の方法・・・というか手順を書きました。

これって、音楽に限らず、絵とか、ちょっとしたアイディアとかにも応用できると思うんだ。

とにかく、一部をSNSに晒しちゃうと、必ず具現化するものなのよ。

 

デメリットとしては、完全に仕上がった作品をお見せしているわけではないので、ちょっと恥ずかしいってのもあります。

でも、とにかく作品を仕上げる流れを創るのが大切だと思うのです。

 

創作の芽をSNSに晒すってことは、「私はこの曲を仕上げます」って宣言することなんだよね。

 

創作ってのは、自分自身との戦いだと思う。

私の作品なんて、仕上がらなくても誰も困らない。

でも、仕上げずに死にたくないもん笑。

 

だってね、自分の中に沸き起こってくる曲を外に出さない理由はないでしょ??

沸き起こってくるものは、外にだすのが自然なことなんだよ。

 

読んでくれてありがとう!

次回の記事で、GWからの「創作の季節」で創った曲を紹介するね!