あるとき転機が訪れた
2013年3月のことだ
2003年からご指導いただいていた
ピアニストの方に勧められ
とあるコンクールに出場したのだ
正直
あまりコンクールなど
試験っぽいものは
好きではなかった
なんともいえない緊張感が
好きではないのだ笑笑
それに
ピアノ演奏を点数で評価されるのも
できれば御免被りたい笑笑
ピアノの試験らしいものといえば
ちょっとした思い出があるので
書いておきたい
わたしは2歳から母からピアノを習い
3歳から国立音楽大学の音楽教室で
指導していただいた
そこでは
グレードのテストというのがあった
確か中学一年の時だったと思うが
一等をいただいたことがある
そのご縁で
翌年の音楽教室入学式で
ブラームスを弾かせていただいた
その際
当時の国立音楽大学の校長先生に
声をかけていただいた
たしか
「素晴らしい演奏でしたね」
と言っていただいたように記憶している
忘れられない思い出である
補足だがその後
音楽専門の高校の受験準備に入った
が
色々な事情で
音楽高校は受験せず
一般の高校に通った
その後は
2000年にピアノへ復帰した直後
コンクールに出場したことがあるくらいだ
それ以来
長年ピアノの試験らしいものから
遠ざかっていたわたしが
なぜかこのときは
コンクールに出場する気になった
そして
なぜか入賞できた
正直
とても嬉しかった
コツコツ積み重ねたものが
ようやく花開いた気がした
もちろん
コンクールなどの結果が
全てではないと思っている
しかし
「一つ肩書きができた」
とおもうと
気持ちが軽くなったような気がした
それと同時期に
父が69歳の若さで他界した
母は既に他界していたので
両親ともに旅立ってしまったことになる
わたしには
社会人になっている弟がいるが
あまりに急な父の死に
姉弟2人
たいへん驚いてしまった
そんなとき
コンクール入賞者は
イタリアで演奏できるという
話をいただいた
イタリアの
2013年8月に開かれる
とある音楽祭の舞台だという
その時のわたしは
こう思った
「なんとしても
イタリアで弾きたい」
「イタリアの人々が
わたしの演奏で
どんな反応をするか
見てみたい」
そしてこうも思った
「会社にはもう戻れない」
そして
先のことは考えず退職した
退職を申し出たのは
2013年5月
退職日は
2013年7月末だ
1997年から16年間
お世話になった会社だった
今でもとても感謝している
なぜスンナリ退職を決意できたのかは
自分でもわからない
時期が来た…としか言えない
2013年8月上旬
イタリアの音楽祭で
ショパンとシューベルトを弾いた
音楽祭の練習は
古い教会だった
演奏会もその教会で開かれた
ピアノはベヒシュタイン
石造りの教会だから
音がものすごく反響した
教会で練習しているとき
しばしば旅人が立ち寄り
聴いてくれ
拍手をしてくれた
イギリスの方、イタリアの方が多かった
イタリアの方々にも
わたしの演奏が通じると
感じることができた
とても貴重な経験だった
やはり音楽は
国境を言葉を超えるのだ
日本人のわたしの演奏が
クラシック音楽の本場である
ヨーロッパで通じたのは
本当に貴重な経験だった
演奏会が終わった後
その足で
北イタリア〜南フランスを旅してきた
わたしの退職記念だ(≧∇≦)!
音楽祭のメンバーとローマで別れた後
1人でピサ、ジェノバを観光した
fs線での移動だったが
フランスとの国境
ベンメリアでの乗り換えが分からず
ちょっと焦った
周りの人に聞いても
「I have a same question.」
と言われるばかり笑笑
みんなちょっとしたパニックになっていた笑笑
でも
どこからともなく
親切なお爺様が
乗り場をみんなにアナウンスしてくれた
無事にフランスに入国でき
ニースに到着した
ニースで後から来た主人と合流した‼︎
そして
南フランスを車で観光し
最後はルルドの泉を飲んで帰ってきた
とてもよい旅だった
それから半年後
2014年2月14日
開業届を出した
それまでの
枠組みをぶっ壊して
後先考えず行動したのは
生まれて初めて
だったかもしれない
それから
3年ほど時間をかけ
わたしは
わたしの時間とリズムを
取り戻した
3年という長い時間がかかったのにも
訳がある
これについては
また別の機会にお話ししたい
とりあえず
「本当のわたしに戻る旅」は
これにて完了
お読みくださり
ありがとうございました